糸島・六所神社と日本最古の戸籍

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こんにちは!

要注目の観光地・福岡県糸島市で、
ゲストハウス「前原宿(まえばるしゅく)ことのは」を運営する、のぎー&かなです。
本日もブログ訪問ありがとうございます!

私の母親の実家近くの、旧志摩郡馬場に、六所(ろくしょ)神社という神社があります。
歴史ある場所なので、ご紹介致します。

樹齢800年の大楠

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↑でかすぎる楠

創建は今から1300年以上前にも遡るといわれる、古い神社です。近世においては旧志摩郡の総社であり、相当の繁栄を極めたそうですが、今となっては、のんびりした雰囲気漂う神社といった趣です。

見所はなんといっても、樹齢800年を越す大楠です。本当に大きい。

私も小さな頃は、母親の実家に帰省した折には、この楠の周りで遊んでたな〜と思い出します。
母親も子供の頃はこの楠の周りで遊んでいたみたいです。
人間の寿命が80年だと思うと、その10倍生きているわけですから、ものすごいですね。

エネルギーを感じます。

■日本最古の戸籍「川邊里戸籍」

六所神社がある馬場は、かつて川邊里(かわべり)と呼ばれ、2012年に太宰府で、「筑前国嶋評(しまのこおり)川邊里(かわべり)戸籍」という現存する、「最古の戸籍」が記された木簡が発見されたことでも有名です。(詳細は大宰府市で最古の「戸籍」木簡が出土より)

面白いことに、評(こおり)という古代の行政単位が記されていることから、685年から701年の間に作られた木簡だと言われています。

歴史のお勉強みたいですが、701年に大宝律令が制定され、評ではなく、「郡」という行政単位に変更になりました。
実は、この木簡が発見される以前は、現存する「最古の戸籍」が記された木簡は、702年のもので、奈良の正倉院で見つかった「筑前国嶋『郡』川邊里戸籍」というものでした。

あれ!?同じ地域??

 

偶然なのか、必然なのか、川邊里戸籍が日本最古記録を更新致しました。

なぜ、評が郡に変わったのだろう?
なぜ、太宰府に正倉院より古い資料があったのだろう?

疑問に思うことはいろいろありますが、歴史学者の故・古田武彦さんの説を知らないと、腑に落ちる説明は聞けないかもしれません。

どちらにしろ、馬場は古代史上も重要な地域の一つなのかもしれません。糸島市民としてはびっくりな話ですが。
そういえば、馬場の近くに志摩城なるお城もかつてあったようですが、他に、大きな遺跡が発掘されたとは聞いたことがありません。
もしかしたら、その辺りを掘れば、何かものすごい遺跡が出てくるかもしれませんね。

■神社はかつてコミュニティの中心だった

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↑六所神社の社殿

私の母が小さな頃は、社殿の隣にある建物が、地域に開放されていて、映画の上映会や寄り合いなどに利用されていたと言います。
今となっては、神主さんが常在する神社も少ないし、少子化・高齢化の影響であまり人が集落にいないという問題もあるので、神社がそういう使われ方をする時代ではないのかもしれませんが、やっぱり神社は元々、コミュニティの中心であり、人が集まる特別な場所なんですよね。

神社は願い事をしに行く場所だと思っている人も多いと思いますが、「氏神」さまという言葉が残っているように、本来は「祖先崇拝」の一つの形だと私は思っています。
だから、神社は地域の人々の心の拠り所でもあり、もっと人々の生活に密着した場所だったはずです!

最近は、櫻井神社のように、神社は若い人にもかつてとは違った形で受け入れられるようになってきています。この流れを大切にして、ぜひコミュニティとしての神社の復活に期待しています。

縁結びの神社で、「合コン」企画みたいなのもありなんじゃないかな〜。「街コン」の神社版みたいな。どうだろう?笑。

名所情報

神社名:六所神社
住所:糸島市志摩馬場344
HP:なし
地図:

(※2016年2月現在の情報です)

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(Itoshima Guesthouse Kotonoha)