強烈な記憶。内戦の展示ギャラリー「Gallery 11/07/95」へ , Sarajevo , Bosnia and Herzegovina

こんにちは!

夫婦で一年間の世界一周旅行の後、福岡県糸島市で、
ゲストハウス「前原宿(まえばるしゅく)ことのは」を運営する、のぎー&かなです。

本日もブログ訪問ありがとうございます!

さて、「ボスニア・ヘルツェゴビナ」で2015年7月21日に、私たちが体験したお話です。

人気の観光スポット「Gallery 11/07/95」へ!

今日は、ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦の記憶の展示したギャラリー「Gallery 11/07/95」に足を運びました。
小さなギャラリーですが、カテドラルのすぐ隣にあります。

1人の写真家Tarik Samarahが長年温めていた構想で、2012年にオープンしてからはサラエボを訪れる旅行者必須の訪問先になっています。

入場料は12マルカ(約800円くらい、2015年現在)と少々高めですが、若い人を中心に大勢の人が訪れます。私たちが訪れた日も、想像以上にお客さんが多くてビックリしました。

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↑とても目立っている看板。ダークな雰囲気があります。

ここでは、リアルに1992年から95年の内戦時の写真や映像が展示されていて、とても生々しいものがあります。
社会主義国だった旧ユーゴスラビアがソ連の崩壊後に解体へ向かいますが、スロベニアやクロアチアが比較的同じ民族でまとまっていたため、すんなりと独立した反面、ボスニア・ヘルツェゴビナは多民族・多宗教だったため、独立するか旧ユーゴスラビアに残るかで内戦に陥ったのです。

“To see, to know”

見ることは知ることだ。

とでも訳せばいいかな。ギャラリーの紹介文にチラッと書いてあった言葉です。

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↑小さな会場ですが、映像展示や係員によるガイドツアー付きです!

展示の目玉は、何と言っても内戦時の映像を編集したムービーです。

2本ありましたが、どちらも30分近くあったように思います。
1本はサラエボでの撮影に基づいたムービーです。

「サラエボ包囲」について

「サラエボ包囲」といって、旧ユーゴスラビアの中心だったセルビア人勢力に、盆地であるサラエボが長年包囲された局面です。

街の大通りは「スナイパー通り」と呼ばれ、狙撃手が狙っているので、様子を見ながら走って渡らないといけません。

リアルに当時の映像ですが、銃声の中、大通りの向こう側に向かって走っていく子供やおばさんの映像を見ていると、まるで映画の特撮を見ているような気もしますが、これが20年前のリアルな姿だと思うと恐ろしくなります。
走ってるのは10秒くらいですが、1時間にも感じる長さです。

今は歩いて渡れるだけでも幸せです。

ビックリしたのは内戦中のインタビューで小さな子供からおじさんまで英語でインタビューに答えている点。
ヨーロッパとアジアの真ん中で、ロシアも北に控えているわけなので、ある意味いざとなればどこにでも行ける準備が出来ているとも言えますね。
言葉は大切です。可能性を広げるし、何かにしがみつく必要性も減らせます。

音声が聞き取りにくかったのですが、5歳くらいの女の子が「私はモスクにも行くし、教会にも行く。一体なんでこんな状態なの?」みたいなこと話してたのが、衝撃的でした。

そもそもサラエボにはセルビア人もいっぱい住んでいて、この期間に犠牲になった人も多いとか。しかも都市部では混血も進んでいて、民族の違いは宗教の違いくらいしかないそうです。
そう考えると「民族主義」って誰のためのもの?って思います。
権力者は「あなたのため」と言っても、安易に信じてはいけませんね。実はただの「保身」に過ぎないかもしれません。

「スレブレニツァの虐殺」について

もう一つの映像は「スレブレニツァの虐殺」と呼ばれる事件についてです。
スレブレニツァはボスニア東部の街ですが、周りをセルビア人勢力に包囲されてボシュニャク人は孤立していました。
国連部隊が保護していましたが、それも虚しく虐殺が起きてしまいました。

孤立した場所での難民キャンプや、山道を逃げる人たちの映像が残っており、これを撮ったジャーナリストもすごいなと思わざるを得ません。

どちらも映像も編集としては、ボシュニャク人側から見た風景になっており、セルビア人から見た内戦はどうだったのだろうとは思いますが、最前線で命をかけて撮ってきた大変貴重な映像だと思います。

これらを見ると、戦争というのは、最終的には権力者の「保身」のために物事が動いていくので、それに付き合わされる、兵士も含めたごく普通の人々は、結局何をやってるのか、誰のためにやっているのか分からなくなって、被害だけ被るという結末だけが分かります。

セルビア側でも、ボシュニャク人への攻撃を拒んだセルビア人も犠牲になってます。もはや民族のための内戦だったはずが、同じ民族を攻撃するわけですから、完全な矛盾です。権力者は口でどんな上手いことを言っても、結局は自分に利する方向に扇動するだけなんですよね。

内戦後のボスニアにおいては、政治家の言動なんて全然信用されていません。常に疑いを持って見られています。

 

内戦後の未来

今ではボスニア・ヘルツェゴビナはボシュニャク人(ムスリム人)とクロアチア人主体のボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、セルビア人主体のスルプスカ共和国のエリアに分かれています。教育も民族ごとに分かれているようで、将来の悪影響も懸念されています。

国際的にはEU加盟を目指していますが、加盟条件を満たしていなかったり、意見がまとまらなかったりして、長い道のりのようです。EUに加盟して順次適合していくと、パスポートチェックもなくなって、人や物の移動が自由になるので、「ヨーロッパ人」という意識が強くなります。そうなると、今の民族意識も良い方向に変わるかもしれませんね。

そして、2014年にサッカーワールドカップ・ブラジル大会にボスニア・ヘルツェゴビナ代表が初出場した際は大盛り上がりしたようで、徐々に個々の民族意識を脱して、より上手に付き合う方法はないかと模索する人も増えているようです。
(参照:ボスニア代表を悲願のW杯初出場に導いたオシムの献身 | フットボールチャンネル

今の日本の政治状況を鑑みると、「国民のため」「国民の安全を守るため」を連呼する政治家が多いような気がします。
翻訳すると「自分のため」「自分の政治生命を守るため」という意味かもしれません。
少なくとも、内戦を経験したボスニア・ヘルツェゴビナの人なら疑ってかかる場面でしょう。
この手のウソに後から気づいても遅いのです。

“To see, to know”

ボスニアでの悲惨な出来事を無駄にしないためにも、私たちはボスニアに来て「見る」必要があると思います。

私たちの一年間の世界一周の軌跡が、皆さんのお役に立てれば幸いです。

**今度は私たちがゲストをもてなします!**
福岡・糸島ゲストハウス
前原宿(まえばるしゅく)ことのは
(Itoshima Guesthouse Kotonoha)