まるゐと〜循環と学びの杜〜始動中!②「縄文と江戸の叡智に学ぶ」

今日も素晴らしい一日を!
福岡県糸島市で、ゲストハウス「前原宿(まえばるしゅく)ことのは」を運営する、のぎー&かなです。
記事をご覧くださり、本当にありがとうございます!

私たちが新しく始めたレンタルスペース「まるゐと」についてのご紹介第二弾です!

第一弾は以下のリンクをご参照ください。

まるゐと〜循環と学びの杜〜始動中!①「麻とマコモの癒し空間」

以下の第二弾では私たちがモデルにする「縄文」と「江戸」の平和と発展の仕組みについてお話しします。

驚異的!一万年以上続いた、「縄文」の平和の仕組みとは?

私たちの取り組みでユニークなのは、ただのレンタルスペースではなくて、江戸と縄文の平和と発展の仕組みを参考に、「循環」と「学び」をテーマにしている点です。

縄文は近年とても話題ですが、一万年以上の長期に渡って、平和を維持していたと言われています。詳しくは以下の動画も参考にされてください。

名著「0フォース」から学ぶ縄文の叡智

近代社会は縄文時代より圧倒的に発展しているはずですが、常に戦争ばかりしています。
なぜだろうか?と思っていた時に出会った本が、千賀一生さんの著書「0フォース」です。


書籍によれば、縄文時代は常に「円の循環エネルギー」を使って、大いなる宇宙の仕組みと同調する生き方・考え方無意識レベルから尊重しており、それが一万年以上の長期に渡って平和を維持できた理由だろうと述べてあります。

確かに現代社会は安さ・便利さを最優先にするあまり、建物の形は四角に、人間関係は三角形のピラミッド構造を基本にしています。
四角◇も三角△も「角(かど)が立って」いる形ですね。

日本語では「角(かど)が立つ」という言葉は「相手を刺激したために、人間関係が荒立って穏やかでなくなる」という意味ですが、まさに四角や三角ばかりの世界は争いに満ちています。

円◯だけが、角が立たない形」をしています。

縄文集落の平和の秘密は円構造にあった!?

「0フォース」では、縄文時代の争いの痕跡が見つからない集落においては、家々が円形に配置されており、その中心に必ず「」を囲んでいたと紹介されていました。

火=陽=霊(ひ)」であり、日本語の場合、音が同じであれば、根本的な意味は同じです。

つまり、目には見えない・非物質的な「火=陽=霊(ひ)」を中心に据えて、まさに太陽系と、地球を含む惑星との関係と同じような住まいのあり方を実践していたというのです!!

しかも、それぞれの家も円形になっていて、その中心には「」が置かれて、やはり「火=陽=霊(ひ)」が家の中心にあります。この「」は後の時代には「大黒柱」となって、立派な柱に変わっていきます。

つまり、宇宙・集落・家、おそらくは人間関係すら同じように「円」を基本としていたのでしょう!

まるゐとはあらゆる円の仕掛けを使って、縄文の叡智を令和の時代に復活させます!


そこで、まるゐとでは縄文のシステムを参考に、三角のピラミッドシステムから、あらゆるものや人の関係を「円」を意識しながら創ってみようと試行錯誤をしています!



実際に、「縄文はそうだった」と言われても、一万年以上前の話で今生きている人は誰も経験のない世界ですから、「では、今やってみようよ!」という、軽いノリです。笑。

畳下には麻炭を使ってサークルを描いています。

例えば、現代建築は四角い箱が基本ですが、四隅をまるくして、なるべく円や曲線に変えていっています。

現代住宅はどうしても四角い部屋ですが、四隅の角張ったところに、漆喰を塗ってカーブをつけていきます。

すると、あら不思議!!空間が以前とは全然異なってきます!

人は無意識にも部屋の「角」を把握して、空間の形や広さを捉えるのですが、漆喰を塗って角がなくなったところ、なぜか空間が広く感じられるようになりました!

こればかりは「試してみてね!」としか言いようがないですが、部屋の角を取るだけでも圧迫感がなくなり、心が穏やかになりますね!

不思議とまるゐとを利用する方たちは円座を組むことが多いです。

自然と無意識に円座を組むのは不思議。

完全に畳下に描いた麻炭16サークルと同調していますが、利用されてる方はおそらくその存在を知らないと思います。
でも無意識ではちゃんと分かっているんですね!人間って不思議です。

縄文の円の仕組みをこうやって取り戻していきたいですね!

人間関係だって、円を基準に創っていきます!

まるゐとは基本的にメンター(=月会員)と呼んでいる、レンタルスペース利用者を中心に運営しています。
マネージャー(=運営者)はみんなをサポートする役回りです。(下図のWORK参照!)

とにかく人間関係も円の関係になれるように、色々模索しています。

ポイントは、中心となる位置に「人」が入らないことだと思っています。ついつい癖で私たちはこの中心に「リーダーシップ」を取る人を置いてしまいがちです。
でも、少なくとも中心は「目に見えないもの」!

それは常に中心に「火=陽=霊(ひ)」を据えた、縄文の平和のあり方を参考にしています。

正直、本当に新しいやり方にチャレンジしているので、本当に試行錯誤です。


とりあえず「このまるゐとという場が喜んでいるかどうか、常に意識しましょう!」と呼びかけています。

こんな世界観に少しでも興味があれば、ぜひ一度まるゐとに足を運んでほしいと思います。

圧倒的に洗練されていた「江戸時代」!天才を生み出す寺子屋と完璧な循環社会

日本の江戸時代も世界的にみて稀有な時代でした。
250年以上平和な時代が続きましたし、その間に圧倒的に洗練された教育システム全くムダのないエコな循環社会を実現していました。

現代では、教育とエコは問題だらけで、なかなか良い解法が見つからず困っていますが、なんとご先祖様が解決していました。笑。

もし、江戸時代は飢饉や一揆ばかりだったと思っておられたら、何かの詐欺に遭っているかもしれません。苦笑。
そのことに氣付かせてくれたのが石川英輔さん著「大江戸ボランティア事情」や「大江戸エコロジー事情」です。

石川さんの「大江戸〇〇事情」シリーズは何冊もありますが、どれも名著で、江戸時代の資料をたくさん読み込んで、リアルな江戸時代の姿を浮かび上がらせていて、本当に目から鱗です。

多少争いごとがあったとしても全体的に平和でとても安定していたのは間違いなく、驚異的なのは完璧なエコ社会であったという点です。

江戸は完璧な循環エコ社会!今こそ祖先がどのように生き方を振り返るタイミング!

江戸時代はどうやら日本全体を通して、エコ社会を実現していたようですが、地方はどうしても残っている資料が少ないので、お江戸だけの話に絞りますが、徹底具合がすごすぎます!

江戸はなんと、ヨーロッパの大都市でもほとんど上下水道の整備がされていない中、圧倒的なレベルで上水道そして下水道も整備してしまいました。

江戸は最盛期で100万人が住んでいたと言われ、世界一の人口だったにも関わらず、徹底的にクリーンな街を実現していました。(パリでは下水がなかったので町中排泄物だらけで、それを踏まないためにハイヒールが誕生したとも言われています)

江戸では、長屋と呼ばれる共同住宅に多くの人が住んでいましたが、共同便所があって、排泄物は畑の肥料として農家さんが高値で買ってくれるので、みんなとても綺麗に使っていました。

確かに自分の排泄物には大きな価値があるわけですから、それすらも大切にしようと自然に思いますね
江戸時代はそもそも「人々のベースとなる生きる仕組み」自体が「循環」の発想に基づいていたんですね。

その流れに乗りさえすれば、勝手に循環していくという。無理やりリサイクルだ!SDGsだ!とスローガンを唱えるのとは根本から違っているのが分かります。

そもそもがゴミのほとんど出ない社会だったようですが、ほんの少しの不要物でさえ、徹底的に大切にして、とことんまで使い終わるような文化がありました。

どういう心持ちで江戸の人がそこまでエコな行動が出来たのか、あまり資料が残っていないので不明ですが、逆に不明ということは、「あまりに当たり前の考え方」だったから残っていないとも言えます。

自然と共生」する考え方が根本にあったのでしょう!

洗練された社会を実現したのは、ほぼ無償かつボランティア活動の「寺子屋」だけ!?

そんなすごい循環社会を実現するにはどんなエリート教育が行われていたのだろう?と思いますが、実際に公教育というのは行われておらず、広く行われていたのは、ほぼ無償かつボランティアによる「寺子屋=手習」だけです!!

寺子屋の様子

先生は師匠と呼ばれ、師匠は身分も職業も様々(武家、浪人、医者、神官、僧侶、山伏、庶民)で他に収入がある人が多かったようですが、現代の教育と大きく異なるのが、すべての決定権は「習いにくる子どもたちと親」の側にある点です。

基本は個別対応の私塾であり、やりたいこと・習いたいことも子どもたちと親が決め、入学・卒業の時期も「自由」!
内容も、読み書きそろばん以外にも、漢文や算盤、裁縫、生花、茶の湯などバラエティに富んでいたようです。

この子は読み書きさえできれば十分です」となれば、そこで卒業して家業を手伝ったりと、人それぞれの能力や意欲に応じて無理なく決めれたようです。

ただ、江戸時代の子どもたちは結構寺子屋好きで、義務教育でもないのに、「就学率・識字率は圧倒的に世界一」でした!
同じ時代にフランスでは、結婚証書に自分の名前も書けない人ばかりだったと言いますから、江戸の識字率は驚愕的だったと言えます。

行く義務もなく、もしかしたら行く必要もない寺子屋になぜそんなに通いたがったのか??ものすごく不思議です。


さて、糸島の歴史学者・眞龍さん曰く、日本人の根底を流れる価値観として「遊びをせむとや生まれけむ」があるんじゃないかと言います。

平安末期の歌集「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」に載っている歌の一句ですが、「私たちは遊ぶためにこの世に生まれてきたのだろうか?」という意味だと言われています。

明治になって西洋文明が席巻して以来、「勤勉=美徳」みたいな人生観がさも当たり前になってしまいましたが、昔の日本は実はそうではなかったのではないか?という一種の投げかけがこの歌にはありますね。

その話を聞いて、ズバリ言うと、江戸は「遊び」が発展させた社会だったのではないか!と思ったのです。

私たちは競争だけが自分を世界を成長・発展させると信じて、毎日死に物狂いで切磋琢磨しているわけですが、それだけでなくて、「遊び」でも成長・発展できるよ!と言っているのが、江戸時代だったのはないかと思ったのです。

遊びが発展させた社会が江戸だった!?

現代の感覚ではにわかに信じがたいですが、江戸時代の「結果」を知れば「あり得る!」とも思えるのです。

天才数学者・関孝和さん


馴染みが薄いかも知れませんが、江戸時代の数学者の関孝和さんは世界三大数学者とも言われる人です。

円周率は少数以下11桁まで見つけ出し、西洋の数学者よりも早く、行列式やN次方程式などを発見しています。
しかもそれらを1人でやってのけているのが驚愕です。

もちろん西洋の数学者も偉大ですが、彼らは大学の教授だったり、大学を卒業していたり、まさにエリート中のエリートです。彼ら5、6人分の業績をたった1人で、しかも寺子屋しか学歴のない関さんが成し遂げているのだから不思議すぎますね!

関さん以外にも発明家の平賀源内さんなど、世界的に見てもすごいんじゃないかと思える偉人が多く存在するのが江戸時代の凄さです。芸術面でもものすごい進化がありました。

浮世絵や歌舞伎、俳句も江戸時代に生まれた芸術ですが、「庶民発」であるのが実は驚異的です。

なぜなら当時、世界的には芸術とはエリート階級の人が嗜むものとされて、パトロン(支援者つまりお金持ち)の援助がなければ芸術は成り立ちませんでした。つまり芸術は庶民のためのものでは決してなかったのです。

西洋の芸術に宗教画が多いのも、宗教団体が支援しているからに他なりません。

しかし日本は庶民が考えた芸術が、庶民に支えられていました。
逆にいうと、庶民が想像以上に「洗練」されていて、芸術の価値を理解する人が大勢いた証拠でもあります。

一体、どこで芸術を覚えたのか?
寺子屋しかありませんね!

「遊び」は子どもがやるもの!という固定概念が私たちにはどうしてもありますが、もしかすると大人になっても「遊び」を継続すれば、どこまでも突き抜けて、ものすごい成果を出すのかも知れません

現代人である私たちももっと遊ぼう!

「競争」は世の中を発展する方法の一つです。でも江戸時代の「寺子屋」を研究すると、それ以外にも発展の道がありそうですね。
それこそが「遊び」!

遊びが世の中を発展させ、自分自身も成長させるのです!!

衝撃の「仮説」です。本当でしょうか????

だからこそ、まるゐとではその仮説を実証してみたいのです。
そのメインとなる試みが「部活動」です。(下図のPLAY参照!)

2024年6月現在では、以下の部活動が動いています。

  • いとしマコモ部
  • 海底湧水塩作り部
  • 焚き火部
  • 菌ちゃん畑部

以下の写真は菌ちゃん畑部の活動の様子です。菌ちゃん農法は佐世保発祥で、無肥料・無農薬の野菜を比較的簡単に育てられるので、日本中に爆発的に広がっている農法です。

部活動は誰でも参加可能です!とにかく「大人の遊び」ですね!

「大人も楽しく遊ぶ」というのをまるゐとのポテンシャルを目一杯引き出してやっていきたいと思います。

肩肘はって、「循環を!」と言っても肩が凝るだけです。苦笑。

一人一人の心がゆるゆるになれば、身体も地域も地球もゆるゆるになって循環が始まるはずです。

さらに私たちは地域(志摩井田原)にも貢献できるようにやっていきたいと思っています。
近い将来、江戸方式の寺子屋もチャレンジしてみたいなぁと思います。

縄文の「円の原理」と江戸の「遊び」で、平和に成長発展する令和モデルを!

これまでに説明したように、縄文は「円の原理」を常に意識して、一万年以上にわたって平和な世の中を維持してきました。
ただ、あまりに平和すぎると、成長・発展が滞る場合もあるのかもしれません。

宇宙は「生々発展」を原理にしていて、私たち人類を含めた宇宙のあらゆる存在はその原理から逃れられないと言います。
つまり、成長・発展が宿命づけられているのです。

それは「なぜ争い・戦争が起きるのか?」という難しい問いの答えに当たるかもしれません。
「辛いこと・困難なことがないと成長しないでしょ!?」と問われているのかもしれません。

でも、江戸時代は違いました。「遊び」を中心に据えて、人や社会の圧倒的な生々発展を成し遂げているではありませんか!!

「遊び」でそこまでの発展が可能だった社会は世界広しとはいえ、過去にも存在したのだろうか?と思ってしまいます。

そんな縄文と江戸を参考にしながら、平和に発展する社会モデルを創ってみましょう〜♪というのがまるゐとのチャレンジです。

まるゐとは基本、レンタルスペースです。ですからみなさん、氣軽に使ってくださいね!
イベント情報・利用のご予約は以下の公式インスタグラムをご参照くださいね!

https://www.instagram.com/maruitoshima

みなさんにお会いするのを楽しみにしております。

まるゐと紹介第三弾では実際にまるゐとの空間をご紹介したいと思います。お楽しみに!

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