移民の歴史を感じる!サンパウロの東洋人街「Liberdade(リベルダージ)」  , São Paulo , Brazil

こんにちは!

夫婦で一年間の世界一周旅行の後、福岡県糸島市で、
ゲストハウス「前原宿(まえばるしゅく)ことのは」を運営する、のぎー&かなです。

本日もブログ訪問ありがとうございます!

さて、「ブラジル」で2015年4月23日に、私たちが体験したお話です。

サンパウロは日系人で溢れている!

ブラジル・リオデジャネイロ滞在中は日本人旅行者も含めて、日系人やアジア人はほとんど見かけなかったのですが、サンパウロにやってきて、一気に日系人や中国、韓国人を見かけるようになりました!
メトロに乗って、車両内を見渡すと、一人か二人は日本人っぽい人いますもんね。

サンパウロは雨期が長くて、雨が多いようなので、リオデジャネイロのほうが過ごしやすいと思うのですが、なぜみんなサンパウロに集まるんでしょうかね?

移民の歴史と関係があるようです。そもそも19世紀末に奴隷制が廃止されるまでサンパウロは小さな村でしたが、奴隷制廃止後、コーヒー農園での労働力確保のために大量の移民をサンパウロは受け入れたそうです。その中にも当然日本人がいて、今でもサンパウロ周辺には日系人が多いわけです。

東洋人街「Liberdade(リベルダージ)」地区

Sao Paulo - 1

Sao Paulo - 2
↑日本的なモチーフが至るところにあります。

 

メトロにリベルダージ駅があって、その周辺に東洋人街が広がっています。

ただし、規模は大きくはありません。横浜中華街みたいにテーマパークのようではなくて、所々に日本料理屋さんや日系のスーパーマーケット、日本書店などがあるって感じですね。

最近は中国系の資本も入ってきているため、日本の食事や食材扱っていても、オーナーは中国系という場合もあるようです。
昔は「日本人街」と呼ばれていたみたいですが、多くの人が現地化して、様々な場所へ移動した後に、他のアジア人たちがやってきて、今では「東洋人街」と呼ばれるようになったみたいですね。

さて、私たちは残ったお金で、なんか料理を作るかと思って食材探しに来ました。
なかなか海外では珍しい食材シメジをゲットして、スープを作りましたよ。美味しかった!
もう少し長居できれば、納豆とか豆腐とか買いたい食材に溢れていたので、食材店の中で私たちはけっこう興奮してました。笑

日本語が話せない日系人

ブラジル移民の歴史も100年を超えると、多くの移民の方やその子孫は日本語が話せなくなります。
ブラジルではポルトガル語話せれば問題ないですからね。

東洋人街をぶらぶら歩いていると、1人の老人に話しかけられました、ポルトガル語で!

「日本人ですか?こちらに住んでいるんですか?旅行ですか?」みたいなことを聞かれたと思います。

顔つきは完全に日本人なので、日系二世の方だと思います。

会話をして、最後に握手をすると、日本語で「お元気で!」と声を掛けられました。
私は「オブリガード(ありがとう)」とポルトガル語で返事。

なんだか不思議な会話でしたが、ブラジル在住日系人150万人は伊達ではないなと思いました。
ブラジル人は基本的に日本人に好意的だと言いますが、きっとそれは彼らのような日系人のおかげなんだと思います。

覚えている日本語が「お元気で!」というのも、印象に残っていますねぇ。自分がもし日本語が通じない異国で暮らすようになって、最後まで覚えている日本語って何だろう!?って考えました。

「ありがとう」がいいなぁと、私は思いました。

私たちの一年間の世界一周の軌跡が、皆さんのお役に立てれば幸いです。

**今度は私たちがゲストをもてなします!**
福岡・糸島ゲストハウス
前原宿(まえばるしゅく)ことのは
(Itoshima Guesthouse Kotonoha)