こんにちは!
要注目の観光地・福岡県糸島市で、
ゲストハウス「前原宿(まえばるしゅく)ことのは」を運営する、のぎー&かなです。
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Uターンのススメ
最近はパソコンさえあれば、どこでも仕事が出来る時代です。
その流れを的確に捉えて、人が多すぎる都会から離れて田舎に拠点を移す人も多くなっています。
糸島は山もあり海もあり、美味しい食もある上に、空港や新幹線の駅からのアクセスも抜群なので、移住される方も多いですね。
ありがたいと思います。
主に糸島に移住される方は「Iターン移住者」といって、出身地とは別の地方に移り住む人が多い印象です。例えば東京出身者が糸島に移住するなどです。
これとは別に、Uターンがあります。その文字の通り、出身地から離れて遠くに住んでいた人が出身地に戻ってくる流れです。
私も糸島から離れて長らく東京に住んだ後に地元に戻ってきましたので、Uターン組になります。
地元に戻ってきてから気づいたのは、案外、地元の人が外に出て行ったまま戻っていない場合が多い問題点です。
東京などに働きに行っている人も多いですが、同級生や私が生まれ育った集落の人々の暮らしぶりを知ると、むしろ福岡市内に家を買って住んでいる人が多い印象です。
ここで、「ちょっと待てよ!」と思いました。
田舎より都市生活に憧れるのは、正直価値観としては少し昔風な気がします。
今はインターネットがあるので、買い物をしに都会に行く必要性がかなり薄れています。Amazonや楽天でも十分快適に買い物が出来ます。
それどころか、多くの仕事はインターネットを介して行われるので、都心のオフィスに毎日出向く必要はほとんどありません。
都心部に家を持った方が良いという価値観は、都心の方が仕事面でも生活面でも便利だという発想が元になっていますが、その前提条件がインターネットの発達で崩れつつあります。
何が言いたいかというと、田舎の可能性に気づいて、Iターン者は増えていますが、Uターン者はそれほど多くないと思います。ちょっともったいない気がします。
ぜひ田舎に戻っておいでよ!と思うのです。
なぜなら、Uターンのメリットはかなりあると思われるからです!
Uターンのメリット
まず、地元の人間であるのが最大のメリットです!
地方に移住するというのは、東京のような都会生活に慣れきった人からすると、ストレスが多い場合があります。
集落の集まりや共同作業、町内費のような思わぬ出費など、予想外のことがいろいろありますが、地元の人ならばだいたい予想が付く上に、実家に戻れば、家族で対応するので、その負担はかなり軽減されます。
このメリットはとても大きいと思います。そのあたりの風習に慣れられなくて、都会に戻っていく例もあるようですしね。
次に、そもそもUターンという行為は歓迎されるのも強調したいです!
都会に出るという行為は、何かを身につけて戻ってくるのを家族から期待されていたのは否めないと思います。
でもその身につけた技術を使う場所がこれまでは田舎にはなかった。だから都会で就職して、そのまま戻ってこない人がいっぱいいたわけだし、親もしょうがないかと思っていたわけです。
でも最初に強調したように、インターネットのおかげで、かなり多くの人が都会で身につけた技術を使って、田舎でも仕事ができる環境が整ってきています。
今こそ戻るタイミングですよ。
なぜ、ここまで気合い入れて、Uターンを勧めているのかというと、自分が故郷に戻ってきた経験から言って、地元の人の気持ちや文化も分かるし、移住者の気持ちや文化も分かる、このポジションが非常に大事だと感じるからです!
つまり、両者の間に入って、つなぐことが出来るのです。
例えば、糸島映画祭 いとシネマというイベントを、私も関わりながら、移住者が中心となったチームで行っていますが、地元の人との交渉においても、私が地元出身と分かるだけでも多少の警戒感が解かれた場面に何度も出くわしました。地元というキーワードが一種の「信頼」になるのです。(その代わり、信頼を裏切らないようにしっかりとやり遂げることが大事ですが・・・)
地元に戻った時の活躍の場はとても広いと言えます!
将来自分の故郷へ戻ることを前提とした糸島移住のススメ
もちろん、糸島出身者が糸島に戻ってきて欲しいという想いが一番強いですが、例えば、他の地方出身者にもぜひ糸島に来て欲しいと思います。
でもそれは、Iターンではなく、少し謎めいた言い方ですが、「将来自分の故郷へ戻ることを前提とした糸島移住」を提案したいと思います。
今の糸島はとても面白いです!
関東を中心に移住者が殺到して、熱気に溢れています。
10年前の糸島は、決してそんな状況でなく、ごく普通の田舎だったので、正直Uターンのイメージは湧きませんでした。
おそらく、日本中の多くの田舎もそんな感じではないかと思います。
だからこそ、将来の自分の田舎像を想像するときに、今の糸島はとても参考になると思うのです!
この表はとあるプレゼンテーションを私が福岡市で行った際に作った表です。
簡単に糸島の今の状況の至った流れを、自分なりにまとめてみました。
まず、1980年代に、ちらほらと陶芸などを行うクラフト作家さんたちが移住してきました。
この時代の糸島はただの田舎でしたから、一体何を感じたんだろう??と地元民ですら思ってしまいますが、おそらく2000年以上前から大陸との玄関口として栄えた歴史の名残がどこかに残っていて、それを感じられたんじゃなかろうかと推測しています。
次に90年代に、サーフィンが好きな方々が移住してきます。今に続く「糸島=海」イメージの芽生えですね。
ここからサーフィン好きの人たちが自分たちの働く場所を作るためにカフェを海沿いに作り始めます。当時の糸島の海沿いなんて誰がドライブしてたんだろう?ってぐらい寂れていたと思いますが。ものすごい決断だったと思います。
ちょうど同時期に、自然農などこだわりの農業を試みる人たちも糸島に住み始めます。
それから、2000年になってから、「地産地消」を意識した加工品や飲食店が一気に増えてきます。手造り糸島ハムさんや無農薬ハーブのプティール倶楽部さんなど。
海沿いのカフェはおそらく立地的に、食事にもこだわる必要があったと思います。そのこだわりの流れが2000年代に入って、さらに広がりを見せたと言えるのではないでしょうか。
そして2011年以降の震災移住の方々です。主に関東圏からの移住者が多かったと思いますが、彼らの関心ごとは「食の安全・美味しさ」と「自然豊かな環境」です。その頃の糸島は彼らのニーズにしっかり答えられたと言えると思います。
SNSの知識も豊富で、発信力の強い彼らのおかげで、糸島ブームと呼べるほどの流れが出来たのだと思います。
ざっと流れを解説しましたが、それぞれの人がちょっとずつ関わりを持ちつつ、影響を与えつつ、数十年かけて出来たのが今の糸島の姿です。
個人的に一番大事だと思うのは、「糸島にカリスマはいなかった!!」点にあると思います。
普通、街が発展するときは、凄腕市長などのカリスマがブンブン旗を振って、強引に進めていくことが多いのですが、その問題は、その人がいなくなった途端に終わってしまう危険性にあります。
糸島の場合は、各分野でのキーマンのような人はいますが、決してその人が「こんな街にするんだ!!」って、無理やり全てをコントロールしようとしたわけではなく、個人的に問題だと思うこと・やりたいことを、自分の出来る範囲でしっかり取り組んだのです。
そして、時間差がありながらも、いろいろな分野にそんな人たちが現れたので、「あれっ、いつの間にか全体的にいい感じになってる!」というのが糸島の現状ではないかと私は思っています。
つまり、カリスマがいないので、誰かがいなくなったから動きが止まるものではないのです。
これは非常に面白いし、多くの田舎にとっても参考になる事例だと思います。
私も大学時代は建築学科でまちづくり計画などの研究を行っていましたので、普通、街の活性化ってなると、「誰か引っ張っていくリーダー出てこんかな〜」って話になって、結局、誰も出て来ないってオチがつきます。笑。
カリスマがどの街にもいたら苦労はしませんからね〜。
ごく普通の人たちが自分のミッションにしっかり取り組んでいたら、結果全体的にうまくいっていたというストーリーは、本当に参考になるし、勇気付けられると思います。
かなり貴重な事例だと思うので、糸島での経験をぜひ自分の故郷に持ち帰って欲しいと私は思います。
将来Uターン希望のIターン移住者求む!!という想いです。
お待ちしております!
明日も糸島を楽しみます!!